人文情報学月報第142号【後編】

Digital Humanities Monthly No. 142-2
ISSN 2189-1621 / 2011年08月27日創刊
2023年5月31日発行 発行数1072部

目次

【前編】

  • 《巻頭言》「人文情報学から見たヴェーダ文献学のいま
    塚越柚季東京大学大学院人文社会系研究科
  • 《連載》「Digital Japanese Studies 寸見」第98回
    2023年度日本語学会春季大会でシンポジウム「情報技術と大規模テキスト資源がひらく日本語史研究」が開催
    岡田一祐慶應義塾大学文学部
  • 《連載》「欧州・中東デジタル・ヒューマニティーズ動向」第59回
    世界の諸言語の文法類型地図データベース・Grambank の誕生:WALS との違いについて
    宮川創人間文化研究機構国立国語研究所研究系

【後編】

  • 《連載》「デジタル・ヒストリーの小部屋」第16回
    デジタル史料批判と草の根のデジタル化:フィンランドにおけるデジタル・ヒストリー(1)
    小風尚樹千葉大学人文社会科学系教育研究機構
  • 《連載》「仏教学のためのデジタルツール」第7回
    龍谷大学図書館貴重資料画像データベース「龍谷蔵」
    井上慶淳龍谷大学大学院文学研究科
  • 人文情報学イベント関連カレンダー
  • イベントレポート「“Advanced Computational Methods for Studying Buddhist Texts”シンポジウム参加報告
    佐久間祐惟東京大学大学院人文社会系研究科
  • 編集後記

《連載》「デジタル・ヒストリーの小部屋」第16回

デジタル史料批判と草の根のデジタル化:フィンランドにおけるデジタル・ヒストリー(1)

小風尚樹千葉大学人文社会科学系教育研究機構助教

はじめに

Amy Earhart らが2021年の Digital Scholarship in the Humanities 誌で示したような、デジタル・ヒューマニティーズ研究で主に参照される文献が北半球・英語話者・白人・男性という著者の属性を持つものに偏っているというポストコロニアルな指摘は[1]、プログラミング言語や符号化言語、メタデータ標準で用いられる言語が英語を基にしたものがほとんどであるというコード批評と通底した問題である。非英語圏の史資料やトピックを扱った DH の研究成果を国際的に発信することは、DH という学問分野のグローバル化・グローカル化を目指す営みとしての意義があるだろう。

本連載は、英語圏におけるデジタル・ヒストリーの研究動向を中心に追うものとしてきたが、上記のような問題意識を充分に反映しなければ、結局のところ英語中心の学問的ヒエラルキーの再生産に終始する危険性を帯びている。ロンドン大学歴史学研究所のデジタル・ヒストリー・セミナーでルクセンブルク大学 C2DH の Gerben Zaagsma が呼びかけたような[2]、多様な文化・言語圏におけるデジタル・ヒストリーの動向を集積していく必要があるとの指摘には筆者としても呼応したいと考えている。

今回は、このような問題意識を背景としつつ、2020年にフィンランドのヘルシンキ大学出版会から刊行されたデジタル・ヒストリーの実践論文集である Digital Histories: Emergent Approaches within the New Digital History から[3]、第1章 “Digital and Distant Histories: Emergent Approaches within the New Digital History” を取り上げ[4]、同書の全体像と意義を考察したい。

同書のねらいと妥当性および章構成

まず同書は、2015年から2018年にかけてフィンランドの Kone 財団の助成により進められた2つのプロジェクト、すなわち Towards a Roadmap for Digital History in Finland と From Roadmap to Roadshow の成果を基にして編まれた論文集である。デジタル・ヒューマニティーズと同様、デジタル・ヒストリーも歴史家の仕事のあらゆる側面を論点としうるが、同書はあくまで「新しい歴史的知見を生み出すためのデジタル史資料とツールを使いこなす学術研究の形態としてのデジタル・ヒストリー」に焦点を絞る立場を取っている(4ページ)。このような立場は、これまでの デジタル・ヒストリー研究[5]がメタ考察ばかりでケーススタディに乏しかったという研究史の理解に基づいたものである。というのも、デジタル・ヒストリーの手法を用いた研究成果が、歴史研究における「本流」とみなされる出版物に掲載されるようになったのがここ数年の出来事であるからだという。たとえば、Matthew Jockers による2013年の Macroanalysis は大学出版会から刊行された初めての研究書であり、Cameron Blevins による2014年の “Space, Nation, and the Triumph of Region” は Journal of American History 誌上で初めて査読付き論文として掲載されたデジタル・ヒストリー研究である。

さて、この論文集に所収された論文のほとんどは、フィンランドの大学に籍を置くデジタル・ヒストリアンによるものであるが、国際的なデジタル・ヒストリーの研究実践の中では、ある程度代表的かつ模範的なものであると主張されている。というのも、まず手法面では現在のデジタル・ヒストリーで用いられる代表的な手法を手広く扱っており、研究対象も政治史・経済史・文化史・知性史・フェミニズム史から科学技術史まで幅広く網羅しつつ、時代区分としても近世から現代までを扱っている。また、フィンランドは、デジタル・ヒストリーのコミュニティや研究実践がほかの国と比べて発展しているという。すなわち、研究・教育に携わる研究者の層が若手からシニアまで幅広いことに加え、博士課程院生や教授職のポスト、教科書、定期的なデジタル・ヒストリーの学会やセミナー、そして国内の歴史学会にデジタル・ヒストリー部門が存在しているのである。そして重要なこととして、フィンランドにおけるデジタル・ヒストリーには、単にデジタルツールを使いこなすのではなく、むしろ研究上の問いに答えることに重点が置かれているという共通見解が存在しているという。このような学問としての成熟ぶりこそ、この論文集がフィンランドというナショナリティを超えた普遍的な価値を持ちうる背景だとしている(7–8ページ)。

次に、同書の構成について簡単に触れておく。第1部は本稿で取り上げたイントロダクション、第2部の “Making Sense of Digital History” はデジタル・ヒストリーの史学史的・手法的な系譜をたどるもので、デジタル・ヒストリーの現在の状況を概念・コンテキストから明らかにする。第3部の “Distant Reading, Public Discussions and Movements in the Past” は、さまざまな分析対象時期を事例とした遠読の実践例を提示している。最終第4部は結論部で、The History Manifesto[6]などにおいて「長期持続」の分析にデジタル・ヒストリーが貢献できると主張する Jo Guldi がデジタル・ヒストリーの俯瞰図と今後の可能性を展望するものである。

論文集の構成に関して批判を加えるならば、ケーススタディが採用する手法がテキスト解析系に偏っている印象を受ける。GIS 分析やネットワーク分析、画像解析といった手法を採用するものがあるとさらにバランスが取れたのではないだろうか。ただし、ラジオとテレビといった視聴覚史料を対象に、メディアによる表象の傾向を固有表現抽出の手法を用いて迫った第10章は目を引く[7]。

デジタル史料批判と草の根のデジタル化の意義

今回の連載で特筆しておきたかった点に入ろう。それは、本連載でもたびたび考察している「デジタル史料批判」についてである。とくに第1章で問題とされているのは、「どの史料をデジタル化するか」という選別についてである。文書館や図書館、博物館といった文化遺産セクターの機関は、利用者数が多く見込まれる史資料を優先的にデジタル化の対象と考える傾向にあるのが一般的だが、このようなごく普通のデジタル化方針は、周縁的なトピックをさらに周縁に追いやり、よく研究されていない史資料をよりいっそう排除してしまう危険性がある(11–12ページ)。このような主張自体はよく見聞きするが、筆者の目にとまったのは、この危険性に対する方策、すなわち、歴史家自身が自らの研究対象の史資料をデジタル化する能力がますます重要になってきたという、パブリック・ヒストリーにもつながる指摘である。草の根のデジタル化とでも呼べばいいだろうか。

ウェブ2.0の時代、つまりウェブという空間が情報の発信者と受信者の役割を固定するのではなく、両者がどちらの役割も持ちうる双方向的な空間になったことによって、誰もが過去に関する情報を SNS などで気軽に発信できるようになった。そのすべてが歴史研究の対象としての厳密な意味での「史料」たりえるかどうかについては、少なくともその情報の来歴やコンテキスト情報を標準的な形式のメタデータで記述することが必要だろう。それはともかく、思い起こされるのは、21世紀のデジタル・ヒストリーの記念碑的な書籍である Dan Cohen と Roy Rosenzweig による Digital History: A Guide to Gathering, Preserving, and Presenting the Past on the Web である。Rosenzweig はパブリック・ヒストリーの文脈でも重要な研究者であり、職業歴史家は市民の記憶や過去の語りというそれこそ膨大な過去への手がかりとなる情報を拾い上げ、積極的にその情報の批判的検証・活用に取り組むべきとした、まさに草の根の活動を重視した人物であった。ジョージ・メイソン大学の Roy Rosenzweig Center for History and New Media が開発・運営する Omeka というデジタルアーカイブ公開のためのCMSが重要性を持つのは、このような文脈においてのことである[8]。

草の根のデジタル化というのは、標準的な形式で管理されたメタデータを伴って史資料が発信されることにより、利用者数の見込みといったような数の論理でデジタル化される史料が選定され、結果的に周縁的な史料がより一層埋もれてしまうことへの、ひとつの対抗策なのである。

おわりに

今回は、ヘルシンキ大学出版会から刊行されたデジタル・ヒストリーの理論・実践をバランスよく配置した論文集の全体像や注目したい論点について考察してきた。次回以降、またこの論文集から何か取り上げることもあるかもしれない。いずれにせよ、非英語圏におけるデジタル・ヒストリー研究の蓄積については、今後も注視していきたいと考えている。

[1] Amy E. Earhart, Roopika Risam, Matthew Bruno, “Citational Politics: Quantifying the Influence of Gender on Citation in Digital Scholarship in the Humanities,” Digital Scholarship in the Humanities, Vol. 36, Issue 3, September 2021, pp. 581–594, https://doi.org/10.1093/llc/fqaa011.
[2] “Gerben Zaagsma (Luxembourg) — Exploring the History of Digital History,” IHR Digital History Seminar, 2021-05-26, https://www.youtube.com/live/U4_L011SHug?feature=share.
[3] Mats Fridlund, Mila Oiva, and Petri Paju (eds.), Digital Histories: Emergent Approaches within the New Digital History, Helsinki: Helsinki University Press, 2020, DOI: https://doi.org/10.33134/HUP-5.
[4] Petri Paju, Mila Oiva, and Mats Fridlund, “Digital and Distant Histories: Emergent Approaches within the New Digital History,” in Digital Histories, pp. 3–18.
[5] たとえば次が挙げられている。Daniel J. Cohen and Roy Rosenzweig, Digital history: A Guide to Gathering, Preserving, and Presenting the Past on the Web, Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2005, https://chnm.gmu.edu/digitalhistory/; Toni Weller, ed., History in the Digital Age, London: Routledge, 2013.
[6] Jo Guldi and David Armitage, The History Manifesto, Cambridge: Cambridge University Press, 2014(平田雅博・細川道久訳『これが歴史だ!21世紀の歴史学宣言』刀水書房、2017年).
[7] Maiju Kannisto and Pekka Kauppinen, “Of Great Men and Eurovision Songs: Studying the Finnish Audio-Visual Heritage through NER-based Analysis on Metadata,” in Digital Histories, pp. 165–180.
[8] 菅豊「デジタル・パブリック・ヒストリー(Digital Public History)」『西洋史学』第273号、2022年6月、46–48頁。
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《連載》「仏教学のためのデジタルツール」第7回

仏教学は世界的に広く研究されており各地に研究拠点がありそれぞれに様々なデジタル研究プロジェクトを展開しています。本連載では、そのようななかでも、実際に研究や教育に役立てられるツールに焦点をあて、それをどのように役立てているか、若手を含む様々な立場の研究者に現場から報告していただきます。仏教学には縁が薄い読者の皆様におかれましても、デジタルツールの多様性やその有用性の在り方といった観点からご高覧いただけますと幸いです。

龍谷大学図書館貴重資料画像データベース「龍谷蔵」

井上慶淳龍谷大学大学院文学研究科研究生

今回は、龍谷大学図書館が提供している貴重資料画像データベース「龍谷蔵」(https://da.library.ryukoku.ac.jp/index.html)について紹介したい。「龍谷蔵」では、龍谷大学図書館が所蔵する貴重資料を中心に、順次画像を公開している。2012年に本格的な運用が始まって以来、2023年5月12日現在で、4779タイトル、10769冊が公開されており、画像の件数は527536件に及んでいる。

龍谷大学はそのルーツを、寛永16年(1639年)に西本願寺境内に設けられた学寮に持つ。図書館ホームページの「龍谷大学図書館の沿革」(https://library.ryukoku.ac.jp/Guide/page_id18)によれば、学寮の設立から10年後には図書の購入や寄贈が行われていた記録が見られ、龍谷大学創立からの380年余の歴史が、そのまま大学図書館の歴史であるという。なお、その購入や寄贈の記録が確認される『龍谷講主伝』の画像は、「龍谷蔵」においてすでに公開されているので興味のある方は参照されたい(https://da.library.ryukoku.ac.jp/page/200117)。

使用方法は至ってシンプルで、他のデータベースなどと大きく変わらない。トップページの検索窓に資料名・著者名・請求記号を入力すると、検索結果一覧が表示されるので、そこから各典籍のページに飛び、カラー画像を閲覧することができる。現在「龍谷蔵」において貴重資料は、文学/真宗/仏教/医学/理学/芸術・芸能/哲学・宗教/歴史/社会科学の9つに分類されている。このなか、「仏教」とは別に「真宗」が置かれている点は、上述のルーツをもつ龍谷大学の特色といえるだろう。それぞれの資料数の内訳を見ると、「真宗」が1452点、次いで「仏教」が1312点で圧倒的に多く、その次に「文学」が685点、「芸術・芸能」が389点と続く。江戸期の日本仏教、とりわけ真宗関係の典籍が多く公開されており、それらを研究対象とされる方には特に有用なデータベースだろう。

そんな「龍谷蔵」には、この3月に以下の3点の改修があった。

①ジャパンサーチとの連携
②IIIF(トリプル・アイ・エフ)への対応
③URL の変更

このうち①②について見ていきたい。まず利用者にとって大きな改修は、①「ジャパンサーチとの連携」が開始されたことである。ジャパンサーチとは、

書籍・公文書・文化財・美術・人文学・自然史/理工学・学術資産・放送番組・映画など、我が国が保有する様々な分野のコンテンツのメタデータを検索・閲覧・活用できるプラットフォームです。(https://jpsearch.go.jp/about

と説明されているように、各分野の枠を超えて資料を用いることができるデータベースである。この5月12日には、新たに立命館大学アート・リサーチセンターの「ARC 研究資源ポータルデータベース(マルチメディア対応)」との連携が開始され(https://jpsearch.go.jp/news/20230512)、計128の連携機関および208のデータベースの資料を横断的に利用することができるようになっている。

このたび「龍谷蔵」と連携されたことで、ジャパンサーチでの検索に「龍谷蔵」の資料が包括されることになった意義は大きい。たとえば、筆者が研究対象としている『選択本願念仏集』を例に挙げてみよう。これは、鎌倉仏教に多大な影響をあたえた法然房源空(1133–1212年)の主著とされる典籍で、写本・刊本ともに多くの現存が確認されるテキストである。まず、「龍谷蔵」で「選択本願念仏集」と検索をかけてみる。すると24件がヒットする。その一方、ジャパンサーチで同様に検索をかけると、635件がヒットする。これだけのヒット件数の増加からも明らかなように、他のデータベースを横断的に検索できることのメリットは、利用者にとって非常に大きい。また、これまで「龍谷蔵」を利用したことのない層にもその存在や有用性を知ってもらうことができるという点で、サービスの提供側においても利点があり、大きな意義を持つ改修といえるだろう。なお恥ずかしながら、筆者はジャパンサーチの存在は知っていたものの、これまでほとんど利用したことがなかった。今回の「龍谷蔵」との連携をきっかけに、その利便性を知ることができたことも筆者にとって大きな収穫であった。

次に②「IIIF(トリプル・アイ・エフ)への対応」である。IIIF についてここでは詳しく立ち入らないが、これによって、利用者が「龍谷蔵」の画像をより自由な形で閲覧できるようになった。上述の通り、筆者は法然『選択本願念仏集』について研究を進めているが、その諸本のうち、龍谷大学図書館蔵の延書本(請求記号:021-154-4)を中心に扱っている。この写本は以前から「龍谷蔵」で公開されており、筆者もたびたび利用していたが、IIIF への対応によって、画像の扱いやすさが格段に増したと実感している。現在、「龍谷蔵」では、「Universal Viewer」「Mirador」「Lime」の3種類の IIIF ビューワを採用している。デフォルトは「Universal Viewer」となっているが、ページ右下のアイコンを押すことで、自由に切り替えることができる。ビューワそれぞれの使用方法や機能については、「ご利用案内」で解説されている。「龍谷蔵」全体の使用方法と併せて参照されたい(https://da.library.ryukoku.ac.jp/guide.html)。

また、貴重書画像の公開は絶えず更新されており、その頻度も高い。更新履歴の一覧を見ると、4月25日に約40点の典籍が、その前だと3月30日に5点、同20日に約40点、同3日に3点の公開がされている。貴重資料が着々と公開されていくことは、真宗学・仏教学のみならず人文学の様々な分野を益するだろう。今後のさらなる発展が期待される。

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人文情報学イベント関連カレンダー

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亀田尭宙国立歴史民俗博物館研究部情報資料研究系
堤 智昭筑波大学人文社会系
菊池信彦国文学研究資料館

イベントレポート「“Advanced Computational Methods for Studying Buddhist Texts”シンポジウム参加報告

佐久間祐惟東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員

筆者は、2023年4月27日・28日にウィーン大学で開催されたシンポジウム“Advanced Computational Methods for Studying Buddhist Texts”に参加し、現地で発表を聴く機会に恵まれた。以下にその概要を紹介するとともに、簡単に筆者の所感を述べたい。

本シンポジウムは、Patrick McAllister 氏(IKGA(Institute for the Cultural and Intellectual History of Asia), Austrian Academy of Sciences)、Rachael Griffiths 氏 (ERC(European Research Council)project The Dawn of Tibetan Buddhist Scholasticism (11th–13th c.) TibSchol, IKGA)、Markus Viehbeck 氏 (TMPV(Tibetan Manuscript Project Vienna), University of Vienna)の三名により企画されたものである。二日間にわたって行われた15の発表は、いずれも、仏教文献研究においてコンピュータ技術をいかに利用しうるか、という観点からの議論であった。ただし、その具体的な内容は、光学文字認識・手書き文字認識、自然言語処理、データベース構築の手法等々、多岐に渡るものであった。また、1日目の最後には、Marcus Bingenheimer 氏(Temple University)による基調講演が行われた。

シンポジウムには、発表者を含む40名程度が現地へ集まり、加えてオンラインで20名程度が参加していたと思われる。日本からは、下田正弘教授(武蔵野大学、2日目午後の部の司会)、永崎研宣氏(人文情報学研究所主席研究員、1日目午前の部に発表)、そして筆者を含む、東京大学大学院人文社会系研究科インド哲学仏教学研究室の特任研究員2名が現地へ赴いた。

シンポジウムの各発表内容について、逐一紹介することは避けるが、全体として分析の手法にかんする技術的な話が多い印象であった。したがって、内容を細部まで十分には理解しきれなかったというのが、偽らざる感想でもある。同じ仏教を対象としながら、高度かつ広範にデジタル技術が活用されている研究の数々は、日本国内の仏教学の学会では目にしたことのない内容が多く、筆者にとっては非常に刺激的であった。

なお仏教文献研究をテーマとして掲げるシンポジウムではあるが、発表の内容自体はサンスクリット語、パーリ語、チベット語の文献を対象としたものがほとんどであった。部分的に中国仏教に関するものはあったものの、東アジア仏教を扱った発表は極めて少なかったいってよい。この点、東アジア、とくに日本の仏教を研究している筆者にとっては、少々残念であった。

1日目の午前中には、永崎研宣氏による SAT 大正新脩大藏經テキストデータベースについての発表があった。具体的には、Unicode、TEI(Text Encoding Initiative)、そして IIIF(International Image Interoperability Framework)にかんする SAT の取り組みについて紹介がなされた。筆者も所属する SAT TEI 化研究会の活動についても言及があり、わずかではあるが筆者も寄稿した『人文学のためのテキストデータ構築入門:TEI ガイドラインに準拠した取り組みにむけて』(一般財団法人人文情報学研究所監修、石田友梨・大向一輝・小風綾乃・永崎研宣・宮川創・渡邉要一郞編、文学通信、2022)が紹介されたのは、個人的に嬉しく思う出来事であった。

永崎氏の発表に対する質問のひとつとして、どれくらいの時間、労力をかけてデータベースを作成してきたか、そしてデータベースを作成する人材をどのようにして集めたのか、という点についての質問があった。人文情報学のプロジェクトのなかで実際にデータやプログラムを作成・整理するに際し、これらを担う人材・資金・時間といった諸条件は極めて大きな要素であると考えられるが、シンポジウムを通してみても存外こうした点に触れる発言・発表は少なかった。可能であればもう少し取り上げられて然るべき話題であるように思う。

さて、本シンポジウムでもっとも盛り上がったのは、“On the Use of Historical GIS in the Study of Chinese Buddhism”と題された Marcus Bingenheimer 氏の基調講演であったように思われる。氏の講演では、ふたつのトピックが取り上げられた。ひとつは論題が示すように(1)仏教研究における GIS(Geographical Information System、地理情報システム)の活用について、もうひとつは(2)LLM(Large Language Model、大規模言語モデル)の登場に伴う仏教研究者の未来について、である。

このうち前者の(1)仏教研究における GIS の活用については、仏教文献に登場する地名を地図上にマッピングすることで、文献上のみでは見ることのできない何らかの特徴や事実を可視化するという手法が、複数の具体例とともに示された。たとえば19~20世紀の中国における寺院巡礼記に登場する地名をマッピングすることで、その旅程に新たに鉄道が使われ始める事実が浮かびあがる、といった具合である。こうしたGISの活用は、Bingenheimer 氏が述べるように、デジタルの手法によって新たな問題が容易に可視化され、研究課題として創出されうるという事態を如実に示している。

また後者(2)LLM の登場に伴う仏教研究者の未来については、当初の講演予定に対して新たに追加されたトピックであり、しかしながら、本シンポジウム中もっとも盛り上がりをみせた議論であった。具体的には、近い将来、研究者ではない人々も ChatGPT 等を通して容易に仏典の現代語訳を得られるようになったとき、はたして仏教学研究者は何を仕事としうるかという問いが提起された(この際、実際に Chat GPT-3.5を通して得られた仏教漢文の翻訳結果もいくつか示された)。

このような問いに対する Bingenheimer 氏の見解は以下のごとくである―とりわけ仏典の翻訳という観点でいえば、機械翻訳の結果の修正が研究者の仕事の主流になるであろうし、また、機械翻訳の評価をすることに研究者の関心が移っていくと考えられる。さらに、膨大な量のテキストを一気に機械によって翻訳できるようになれば、目下(テキストデータとして)我々の手元に存在する「すべての」仏典をそのまま多言語に翻訳することが可能になるであろうが、これらを有意義なかたちで評価しうるのか、という問題も発生する。そして、こうした事態はすぐそこまで迫っている(今後20年程度と予想される)。

以上の講演のうち二つ目の LLM のトピックに質問・コメントが集中し、機械翻訳の今後の進化に要する時間と正確性にかんする議論、あるいはそもそも言葉が持ちうる性格・役割がいかなるものかという点へのコメント等がなされた。

先に述べたように、シンポジウムでの多くの発表はインド・チベットの仏教を対象としていたが、デジタル技術の進展に伴う研究状況は東アジア仏教・日本仏教研究においても同様であろう。すなわち、写本の翻刻は極めて精度の高い OCR で行えるようになり、校訂もまた自動で容易に行えるようになり、そして現代語訳すら機械がほぼ正確に行えるようになると予想される。このような状況下で、研究者は何を仕事としうるであろうか。

Bingenheimer 氏の言うように、機械が翻訳した結果の評価は、重要な仕事となりうるであろう。また、筆者なりの感想としては、翻訳し終えた後のつぎの仕事―単純な文字列の一致にとどまらない典拠や文献間の影響関係の探索、あるいは言説・文献の性質(教説の説示対象の相違など)を加味したうえでの著者の思想構造の描出、さらにはその言説・思想を成立せしめたところの要因の推定など―は、しばらくは研究者の仕事として残るのではないかと思うが、果たしてどうであろうか。

いずれにしろ、氏の講演は、あらゆる仏教学研究者ないし人文学研究者が近い将来に直面する不可避の事態を想定した、刺激的な問題提起であったと思う。

シンポジウムは、全体を通して質問・コメントも多く飛び交い、非常に活気のある会であったと思う。また、シンポジウム開催中の昼食・夕食は、参加者みなで大学内や近くのレストランへ行くという形式であり、研究者同士の貴重な交流の場となった。COVID-19の水際対策等の解除により、今後、日本国内でもこのような場が多く設けられることに期待したい。

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◆編集後記

今月は、情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会が久しぶりに対面で開催されました。COVID-19以来初めてではなかったかと思います。年3回開催される小さな研究会ですので、多くの人が集まるというほどではなかったのですが、目視では60名くらい集まったように感じました。広い教室で、対面で議論して、5月恒例の学生限定のポスターセッションも実施されました。対面イベントに参加した方々がよく言っておられる、対面集会の良さを当方も色々と実感したところでした。発表や質疑応答での情報量の多さはもちろんですが、普段は接点の少ない色々な方々と休憩時間にこまめに情報交換できたのもありがたいことでした。オンラインの良さも踏まえつつ、今後の展開を皆で考えていきたいですね。(永崎研宣)