本稿は、人文情報学月報第175号の巻頭言における「人文系デジタルアーカイブ/研究データの持続可能性に関する現状と課題(1)」の続編である。
前編では、人文系デジタルアーカイブ/研究データの持続可能性に関する現状について述べてきた。後編では、2026年 2月1日(日)開催の情報処理学会人文科学とコンピュータ研究会において発表された「IIIF と AI を用いた蔵書印ツールコレクションの開発―蔵書印 DB 移転と AI 篆字認識開発を契機として―」[1]を引きつつ、蔵書印 DB の移転を通じて経験した、人文系デジタルアーカイブ/研究データの持続可能性における具体的な課題について、述べていきたい。
まず、ここでの主題となる蔵書印 DB について説明しておきたい。蔵書印は、書物の旧蔵者や流通の履歴を示す痕跡として重要な研究対象とされ、そのようなニーズがあることから図書館等の所蔵組織においても書誌情報、あるいはメタデータとして記録する対象とされることがある。蔵書印 DB は、これを印文や印主が不明であっても探索可能にすることを目指して、国文学研究資料館の故青田寿美氏によって開発が始められたものである。既存の印鑑辞典を電子化する試みとは異なり、印影の形状・大きさ・色・配置など複数の属性を手がかりとして、利用者自身が仮説的に探索を進めることを可能にする点に特徴がある。こうした設計思想は、青田氏の長年にわたる書物研究の蓄積と、利用者の探索行為に寄り添う姿勢とが結実したものであり、後続の展開の基礎を成している。
青田氏が蔵書印 DB に関する研究発表をあまり行なっていなかったため、一連の経緯は、Web に残された断片的な情報から把握できる範囲での再構築ということになるが、それによれば、蔵書印 DB は2012年3月29日に一般公開され、その時点では、14,773件の蔵書印データと8,970点の印影が収録され、複数の大学図書館・研究機関から提供された情報を横断的に検索できる環境が整えられていたということである。
その後、2017年頃には、蔵書印 DB は、書物をテクストとしてではなく「モノ」として捉え、その来歴・流通・伝来を読み解くための基盤として再定義された。同時期に青田氏が運用した「近代書物流通マップ」が奥付情報を起点として出版・流通の空間的可視化を目指したのに対し、蔵書印 DB は旧蔵者情報としての蔵書印や、流通情報としての書肆印を集積することで、書物の移動史を別の角度から補完する基盤として位置づけられた。なお、この頃には、蔵書印 DB は図書館等で書誌情報を記述する担当者達に大変重宝されるツールとして利用されるようになっていた。
2018年に採択された科研費挑戦的研究(開拓)(18H05304,20K20325)が、具体的な大きな発展の契機となった。篆字部首検索システムの整備や、約8千字種・16万点を超える篆字画像データセットの構築・公開が進められ、篆書体初学者に対する学習支援と、機械学習によるAI篆字認識・画像検索の基盤提供という二つの目的が明確に打ち出され、その成果は最終的に一般財団法人人文情報学研究所において蔵書印ツールコレクション (https://seal.dhii.jp/)という形で一般に提供されることとなった。
2023年1月、青田氏の急逝により、蔵書印 DB は大きな転換点を迎えることとなった。長年にわたり蔵書印研究の基盤を築いてこられた青田氏を失ったことは、この分野にとって大きな痛手であった。青田氏を研究代表者として実施されていた科研費課題は、この時点で廃止され、科研費事業としては途中で終了することとなった。折しも、国文学研究資料館においてデータベース運用方針の整備が進められており、その流れのなかでは個人研究者が作成していたデータベースとして位置づけられ、データベース移行時には検索等の動的機能の引き継ぎは行なわれず、公開可能な一部のデータのみが公開されることになった。これは、前編における1-A、すなわち、「研究者が作るデータ(1)として、自分の分野の研究者達のための工具書のようなものとして作成するデータ(1-A)」にあたるものという位置づけであり、「孤立系アーカイブ」や「野良アーカイブ」等と称されるものになる。蔵書印 DB は「国文学研究資料館」の名を冠して運用されていた時期もあったようであるものの、実際のところは組織としての手続きを経て開発・運用がなされていたものではなかったようであり、これは致し方のないところであった。
また、それに伴う問題として、他のデータベースやサイトから転用したりオンライン公開されていないものを独自にデジタル化して公開したりしたものがあり、そのなかには利用許諾を必要とするデータが多数含まれており、それらに関して、組織としての利用許諾をとっていたわけではなく、青田氏が取得したであろう利用許諾に関する記録もほとんど残っていなかったため、利用許諾がとれているのがどうかということと、利用を許諾された主体やその条件がどうなっているのかがわからない状態であり、組織として継承することができないデータも多く含まれていた。
こうしたことから、データベースをこれまでのように利用できるようにするためには、検索等の機能を維持、もしくは再構築することと、それに加えて、利用許諾を取得し直すという手続きも必要であることが判明した。前者については、国文学研究資料館ですでにサーバの移行が決定していたため再構築を余儀なくされる状態であり、しかし、国文学研究資料館の新たなサーバ上に構築するとしたら、その手続きにかかるコストも見通すことができない状況であった。
そこで、このデータベースの重要性に鑑み、さらに、開発中だった AI 篆字画像検索の公開用サーバの確保も必要だったため、前出の科研費の分担者として参加していた筆者がそれらをあわせて「蔵書印ツールコレクション」として自分の組織のサーバ上に再構築することとなった。
構築に際して、既存のデータベースの構造やメタデータ、データ作成のワークフローなどは、特に文書化されておらず、蔵書印DBに関する論文等もほとんど刊行されていなかったため、関係者からの聞き取りと、ダンプしたデータの分析に基づいて判断した。そして、蔵書印 DB の検索システムを全体として別のシステム上に再構築し、IIIF による切り出し画像にも対応できるものとした。結果として検索の高速化が実現し、利便性も高まった。AI 篆字画像検索は16万点を超える篆字画像データセットを用いた学習の結果、相当程度の認識率を実現することとなり、篆書体を読めない人への蔵書印確認作業の支援ツールとして有益なものになったと考えている(図1)。

一方、利用許諾に関しては、前述のようにほとんどわからない状態であり、人文情報学研究所から再公開することとなったため、人文情報学研究所が主体となって公開するという利用許諾をそれぞれの転用元や所蔵者に対して改めて依頼することとなった。連絡の取れた組織や個人は、蔵書印 DB を利用しているから等といった理由で皆利用を許諾してくださったものの、連絡がとれない個人によるものもあり、それらについては公開を見合わせることとした。
このようにして、一度閉鎖が決まった蔵書印 DB は別の組織に移行して利用できることとなった。しかし、いくつかの問題がここでは確認された。まず、データベースの URL が変わってしまい、これまでの参照性を継続できなくなった。それから、システムやデータに関するドキュメントが参照可能な形ではほとんど残されておらず、システムの構造を十分に再構築できたかどうかの確認ができないことや、利用許諾に関する情報がなかったために他の人がデータを扱うに際して大きなコストが発生してしまったことである。データベースの URL に関しては、前編の1-A のタイプのままであったために引き継ぎができなかったということもでき、その維持を重視するなら組織としてきちんとサポートされるような運用を目指す必要があっただろう。また、システムやデータに関するドキュメントは、それを作成することへのインセンティブの設計がどうしても難しい面があり、それについては DH や学術情報流通関連の学会において発表する場が提供され、データに関しても研究データを掲載する電子ジャーナルも存在するため、学術的な成果という位置づけをとることでドキュメント作成を支援する体制が現在は整ってきている。そのような方向があることをきちんと関係者に共有していくことがまずは有用と思われる。利用許諾に関しては、許諾される主体をどうするか、組織的にきちんと議論した上で、その許諾の内容と範囲を明確に検討し、少なくとも組織内で共有できる形で保管しておくことが重要だろう。また、できることなら、オープンなライセンスとして利用許諾を得ておくことで、その後の手続きを最大限に簡素化できるとありがたい。
データベースの運用者や運用組織がそれを継続できなくなるという事態は今後ますます増えてくるだろう。それを継承して引き続きの運用を可能とするためにどのようなことが必要なのか。必要な手立てについてはすでに明らかであるものの、様々な事情からそれを実現することが難しい現場が少なくない。そのようななかで、今後、そうした手立てをどのようにしてうまく実現していくか、今後の皆様の議論と実践に期待したい。
文字は読める。しかし何が書いてあるかはわからない--これは比喩ではない。メロエ語研究者が一世紀以上にわたって直面し続けてきた、文字通りの現実である。
メロエ語は、現在のスーダン北部からエジプト南部にかけて栄えたクシュ王国(紀元前6世紀にメロエに遷都して以降、メロエ王国とも呼ばれる)で、紀元前3世紀頃から紀元後5世紀頃にかけて使用された言語である。メロエ語を記録するために用いられた文字体系は二種類あり、エジプトのヒエログリフを手本にした「メロエ聖刻文字」と、エジプトのデモティックに由来する「メロエ民衆文字」がそれぞれ公式碑文や日常的記録に使い分けられた(図1)。文字種は実質23字と語区切り記号からなり、子音 (C) とデフォルト母音/a/のCaが1文字となり、さらに、補助母音記号で母音を変化させるアルファ音節文字(アブギダ)として分類される[1]。アブギダはインド系諸文字やエチオピアのゲエズ文字に見られるタイプの文字である。メロエ語の現存する碑文は約2,200点にのぼり、葬送碑文、神殿の浮彫り銘文、王の記念碑文、供物台の刻銘など多様な形態で残されている[2]。メロエ語文献は、サハラ以南アフリカにおける最古の史料として、全てが解読されるとサハラ以南のアフリカ古代史の解明に大きく貢献することが期待されている。
この言語が特異なのは、「文字の解読」と「言語の解読」が完全に別個の問題として存在している点にある。各文字が対応する音価は、1911年に英国のエジプト学者 Francis Llewellyn Griffith によって確定された[3]。Griffith は、メロエ語とエジプト語の双方で記された碑文中に現れる地名や神名を手がかりとして、各記号の音を体系的に同定した。したがって現在、研究者はあらゆるメロエ語碑文をアルファベットに転写し、音読することができる。しかしその音の連なりが何を意味するかは、大部分が依然として不明なのである[4]。確認されている語彙は神名、地名、王名、称号、葬送定型句など限られた範囲にとどまり、文法構造も主語・目的語・動詞の SOV 語順が推定されている程度で、未解明の部分の方が大きい。

なぜ語彙や文法の解明が進まなかったのか。主な理由は二つある。第一に、ロゼッタ・ストーンに相当するような二言語対訳資料が存在しないこと。第二に、メロエ語の言語系統が長らく不明であったため、既知の親族言語との比較を通じた語彙の推定ができなかったことである。
この第二の障壁に関して、21世紀に入り決定的な進展をもたらしたのが、フランス国立科学研究センター(CNRS)の言語学者 Claude Rilly の研究である。Rilly は音韻体系と形態論の比較分析を通じて、メロエ語がナイル・サハラ語族の東スーダン語派に属し、ヌビア諸語(古ヌビア語および現代のノビーン語、ドンゴラ語など; エジプト南部からスーダン北部)、ナラ語(エリトリアなど)、タマ諸語(スーダンのダルフール地方とチャド)、ニマ語(スーダン南西部のヌバ山地)と共に「北東スーダン語群」を形成することを実証した[6]。
現時点ではこの北東スーダン語群仮説が学界の主流であり、これに基づく研究と、Fritz Hintze 以来の葬祭文の定型性を利用した構造分析[7]の蓄積により、メロエ語葬祭テキストの定型文はほぼ翻訳が可能になっている。しかし、王の事蹟を語る記念碑文や、神殿に刻まれた宗教テキストの大半は依然として解読の途上にある。
メロエ語碑文の体系的な集成として最も重要なのが、フランス碑文・文芸アカデミー(Académie des Inscriptions et Belles-Lettres)が2000年に刊行した全3巻の Répertoire d’Épigraphie Méroïtique(REM)である[8]。Jean Leclant らの編纂によるこの碑文集成は、REM 0001番から1278番までメロエ語碑文をカタログ化した基礎資料であり、1958年の企画以来、約40年をかけて完成された。しかし、DH の観点から見ると、REM には重大な課題が残る。収録データの多くが碑文の写真や手書きの復元図にとどまり、機械可読なデジタルコーパス化を妨げているのである。
一方、機械可読化に必要な文字の符号化の面では、2012年に Unicode 6.1でメロエ聖刻文字(U+10980–U+1099F)と草書体=メロエ民衆文字(U+109A0–U+109FF)が正式にブロック化され、ISO 15924でも Merc(草書体)/ Mero(聖刻文字)として登録された[9]。メロエ文字をデジタルテキストとして表現するための国際標準が確立したことは、検索・分析基盤を支えるインフラとして決定的である。
そして機械可読テキストの層において、2025年に画期的な進展があった。NAACL 併催の Ancient Language Processing ワークショップにおいて、ジョージ・メイソン大学の Joshua Otten と Antonios Anastasopoulos が、メロエ語の初の機械可読コーパスを構築し GitHub 上で公開したことを発表したのである[10]。このコーパスは Rilly(2007年)[11]、Millet(1968年)[12]、Lobban(1994年)[13]らの先行研究から手作業で転写テキストを機械可読形式に変換して構築され、基礎データとして197語の翻訳済み語彙と871のテキスト・フレーズを含む。さらに王名と非王名の入れ替えによるデータ拡張を経て、最終的に17,257文・782,761語にまで拡大された。機械可読テキスト層に、ようやく最初の基盤が築かれたことになる。
彼らはさらに、このコーパスに対して Word2Vec による単語埋め込みを学習させ、意味的類似度テストや最近傍分析を通じて評価を行った。その結果は一定の希望を持たせるものであった。数詞同士や神名同士が意味空間上で高い類似度でクラスタリングされ、たとえば「支配者(qor)」の近くには「王子(pqr)」や「王宮(qorte)」が近傍に配置された。コンピュータがメロエ語テキストから意味的な構造を抽出できることが、初めて実証されたのである。
一方、言語間の語彙対応推定、すなわちメロエ語と新エジプト語の間で VecMap を用いた埋め込み空間の整合実験の結果は厳しいものであった[14]。その精度は最大でも20%にとどまり、未知語の翻訳には至らなかった。フランス語と英語の同種実験では約70%の精度が出ることを考えると、データ不足の壁はなお厚い。著者らは、コーパスの絶対的な規模の小ささに加え、地域や時代での正書法の揺れを主因として挙げている。
しかし、この結果は失敗ではなく前進である。今後の課題としては、OCR の開発によるREM全体の機械可読化、綴り揺れの研究、そして古ヌビア語やコプト語など系統的に近縁な言語のコーパスとの照合実験が挙げられる。筆者も現在、こうした課題に対応するツールとして「Meroitic Decipherment Support System」(メロエ語解読支援システム)を開発中である(図2)。約2,200点のメロエ語碑文は、全体をデジタル化しアノテーションする規模として十分に現実的である。にもかかわらず OCR も TEI XML コーパスも未整備であるという現状は、裏を返せば、デジタル技術が文献学単独では構築しえない基盤を提供できる絶好の機会でもある。

これまでの本連載では、先駆的なデータ活用基盤としてのハティトラスト・リサーチセンターの紹介(ハティトラスト・デジタルライブラリーはこれまで通りだが、別組織のリサーチセンターのサービスは本年12月に終了する)、DH に対する批判、基本的な学術誌、DH と教育について取り上げてきた。今回より、DH における英米文学研究について取り上げていきたい。基本的な論点や話題となった論点を紹介する予定であるので、これから DH の領域に入ってみたいと思う文学研究者や、文学以外の人文・社会科学、自然科学系の読者にとっても、DH の文学研究における基礎知識や、研究者の問題意識、興味の方向性、暗黙の了解事項といったことなどの良き道案内となるよう記述していきたい。
文理融合あるいは文理横断といった言葉を聞くと、読者は何を思い浮かべるだろうか。日本の大学すなわち高等教育では、文部科学省がその教育の方向性を定めるが、当初は人文科学、社会科学、自然科学の別なく教育を行うよう、授業科目やカリキュラムの編成が求められた。近年では文理横断の言葉を用いてより明示的に取り入れが勧められ、学位プログラムの取組としても議論されている[1]。同じ学部内に異なる学問分野の教員がいて授業を行うということから、人文学、社会科学、自然科学といった垣根を超え、異なる学問領域を統合して研究ができるよう学生を教育する流れにあるといえる。
ところでこの文理融合は本当に可能なのだろうか。あるいはどこまで、どのような形であれば可能なのだろうか、と筆者は考えることが多い。当然のことながら、人文社会科学のなかでも、教育学、言語学など、科学的論証の手続きや統計手法を取り入れ、自然科学の領域を学問分野の体系に組み込んでいる分野は数多くある。特に DH の学問分野は文理横断との相性が良く、歴史、仏教学、音楽学といった各専門分野とコンピュータが結びつき、データ構築や分析など文理を融合させた研究が日々行われている。
このことは、すべての学問分野が DX 化できることを意味しないだろう。相性が悪く、文理融合が難しい学問分野もあるのではないか。精読を旨とする伝統的な文学研究では、文理融合はできないのではないか、といった疑問が残るのである。伝統的な文学研究でも、文書作成や情報交換、検索や保存にコンピュータを用いている。またデジタル・アーカイブやコーパスを利用してマニュスクリプトや希少なテクストにあたることはすでに常識となりつつある。したがって、文理融合は本当に可能かという最初の疑問は、どこまで、どのようにという程度の問題であるといえる。このことは、長らく(そして今も) DH の人文学研究において、データとはなにか、数を取り入れるとはどういうことかという根本的な論点として議論されている問題である。
マギル大学教授であり、ドイツ研究と DH を専門とするアンドリュー・パイパー[2]は、文化研究を主体とする学際的学術誌『カルチュラル・アナリティクス』の創刊にあたり、人文学と自然科学を隔てる四つの違いを指摘し、DH が開く新しい研究の可能性と有効性を示している[3]。四つの違いとは、エヴィデンスギャップ、理論のギャップ、自己省察のギャップ、影響力のギャップである。このうちエヴィデンスギャップが最も有名であるため、特に取り上げたい。これは、伝統的な人文学の学問的特性を示し、分析や議論を行う際に依拠する証拠としての概念とその用い方が他の学問分野と異なることを意味する。伝統的な人文学では、分析は特異性や特殊性に着目し、キャノンと呼ばれる価値があるとされた特異で稀有な少数のテクストまたは文化的人工物(文学が文化として扱われる文脈では文学テクストは文化的人工物と呼ばれる)が、作者の作品や同時代の作品あるいは時代の潮流を代表するとみなされる。換喩的に部分が全体を代表するのである。特に精読においては1パーセントのキャノンが99パーセントの失われた作品を代表すると指摘されるほど[4]偏りがあるとはいえ、文学研究では自然な証拠の用い方であり、研究者は権威あるテクストから、自らの論に合致するテクストを選んで引用し、論を進める。
パイパーの論文および書籍[5]、また現在 Apple 社の特別研究員であるマシュー・L・ジョッカーズ[6]は、アウエルバッハの『ミメーシス』[7]を例として、少数の権威づけられた作品の一部の引用をもってヨーロッパ全体の傾向を代表するような論の進め方をするとして、人文学者の学問的慣習を説明する。例として『ミメーシス』第一章から、ホメーロスの『オデュッセイア』において、オデュッセウスが長い年月を経て帰郷し、かつての乳母に足を洗ってもらい、足の傷からオデュッセウスと認識されるオデュッセウスの帰還の場面をあげたい。アウエルバッハは、聖書の逸話と比較し、このオデュッセウスの帰還の場面が、すべてを入念に形象化し、隙間のない結合をするといった特徴を持ち、古典古代に共通する特徴と位置づける[8]。このように、ごく僅かなテクストが作者や時代全体の代表として扱われることが、人文学における証拠の考え方の特徴である。
ジョッカーによれば、人文学における証拠とは、研究者の意見であり連想であって、逸話的なものである[9]。自然科学の分野では、母集団の特徴を推測する標本が証拠にあたり、偏らないよう配慮して標本が収集され、一般化が場合によっては可能であるが、人文学の場合は一般化はできない。また個別的、特殊的な希少なテクストを扱うものの、新歴史主義においては、その注意は社会的エネルギーに向けられている[10]。このエヴィデンスギャップを、シカゴ大学の教授であるホイト・ロング[11]は読者にとっての意味からとらえ、解釈者である私たちが部分と全体、テクストとコンテクストの関係を探るための証拠の代表性に注意を向けさせるものととらえている[12]。DH の研究者は、自然科学における証拠と、人文学における証拠の違いをどう受け止め、分析に適用するか考えざるを得ない。
エヴィデンスギャップとは、人文学の学問的慣習や、人文学の学問のあり方全体に関わる問題であって、価値ある一部の証拠によって、時代や作品全体を代表する研究のプロセスである。文学の領域では、精読とともに用いられるテクストの選択と意味付けである。自然科学における証拠、あるいは遠読とよばれる、大量のテクストから特徴や傾向を見出す手法によって表される証拠は、精読によって選ばれた意味を持つテクストとどう関連付けたら良いのだろうか。一方を選べば精読となり、もう一方を選べば遠読となるとすれば、両者は異なる結果を導く手法であるため、何らかの形で接続する必要がでてくる。精読と遠読を接続するには、異なる二つの証拠を用いなければならないのだろうか。学問の根源的な取組や方向性において、文理融合は本当に可能なのだろうか。あるいは文理融合に慣れた若い世代は、これらの問題を難なく解決するだろうか。その時人文学の学問のあり方自体が変わってしまわないだろうか。こうした問いがエヴィデンスギャップを巡る問いとなると思われる。
パイパーは、違いがあるものの、DH が人文学と自然科学の間に横たわるこれらの違いに挑戦し新しい研究を示すものとして期待をかけている。またカリフォルニア大学サンタバーバラ校の名誉特別教授であるアラン・リウ[13]は、人文学では権力を持つ者の視点からデータが収集され使用されてきたが、自然科学のデータサイエンス的手法を交えた DH 研究により周辺が顕在化される利点を示している[14]。違いを認めつつ、新たな方向性を探る価値がありそうである。
今回は、エヴィデンスギャップを中心にみた。次回は、還元主義やモデルといった、人文学と数にまつわる残りの論点をみたい。
4月は、ニューヨークのコロンビア大学で開催された Digitizing Viet Nam: Vietnamese Studies in the Age of Digital Humanities and Artificial Intelligence という研究集会で発表をしてきました。同大学のベトナム研究者である John PHAN 先生が中心になり、ベトナム研究を発展させるための AI の活用について様々な議論が行なわれました。欧米やアジア圏の様々な国から研究者が招待されており、ベトナム研究からの視点と、アジアにおける AI を活かした先進的な研究事例についての報告があり、とても活況でした。日本からは筆者だけでなく大阪大学のベトナム研究者である清水政明先生もご招待されており、ベトナム研究の観点からお話をしておられました。
筆者は生成 AI における RAG の活用事例の話を依頼されていたため、生成 AI と RAG についての説明、それに加えて、「バウッダ AI (https://agni.dhii.jp/bd-rag/) 」の紹介をしました。ベトナム研究をテーマとするイベントでしたので、これにあわせてシステム自体を多言語対応とした上で英語版とベトナム語版を開発し、それぞれの言語によるインターフェイスだけでなく、それぞれの言語で問い合せもできるようにしました。今回はもう自分でコーディングするのではなく、Claude を使って作ってみましたが、これがとても効率的に開発することができたので、改めて感動したところでした。
このように、生成 AI の利便性と課題は世界中どこでもホットな話題になっていますが、生成 AI はその課題自体を生成 AI で取り扱うことができてしまいますので、どこに人間が介入してどこを生成 AI に担わせるのか、ということを常に意識する必要がありそうです。まだまったく先が読めない状況ですが、そこに人文学の営みが適切に対応できるようになっていけばありがたいと思っております。